コロナ禍に改めて情報の質の大切さを知る

フランスで自宅待機が始まって既に6週間が経過。一人暮らしだし、働いてもいないので、特に辛い変化があるわけでは無い。やる事もやりたい事も沢山あるので退屈をもてあますこともなく、ただ全ての時間を1ヶ月以上に渡って孤独に自己管理する、というのはなかなか精神力を必要とする。1日の主なリズムは3食と就寝で、間の時間は家事や勉強や趣味、つい夜更かしもするし、間食も増える、散歩も億劫になり、家で適当な運動でごまかす。

外部との接触がほぼ絶たれたため、今まで以上に頻繁にTVとネットニュースに触れるようにもなった。最初は雪玉が転げ落ちるように膨らんでいくコロナ影響の数字に怯え、目が離せなかった。そうこうする間に日本でも市中感染が始まったので、日本のニュースも追いかけるように。元々某大手ネットニュースを数日に1度チェックする程度だったのが、今や朝昼晩と1日3回は見てしまう。国内ニュース、国際ニュース、経済、芸能、科学、幅広く次々と情報が更新されるので、終えようと思ってもつい新たな記事を開いてしまうのだ。

ネットニュースは速報性があるし、世論の方向や他人のコメントで別の視点を知ることもできる。出典媒体を見ながらなるべく良質記事に絞って見るようにし、中傷や罵倒、批判ばかりの偏った記事やコメントは避けたいと思うのだが、見出しの興味喚起に引っ張られて、これもついつい見てしまう。ところが、こうした人の悪意や鬱憤のはけ口となった情報に触れてしまうと、知らず知らずに自分の心が痛めつけられてしまう。まさに心が腐るのだ。

東京の姉が時々、新聞のコラム記事を画像で送ってくれる。しっかりとした専門知識や深い洞察力のある作家やコラムニスト、記者による、冷静で、読みやすく構成された知的な文章を読み、心の底から思った。「情報は、内容と文章力の両面で、質が重要だ。良い文章は心を豊かにするし、それが辛い内容であってもその情報を糧として真剣に受け止めることができる。」と。

動画で記者会見中継なども見るようにしている。ネットで細切れな数多の評論記事を読むよりも、出典元を間を介さずに見る方が正しく把握できて、自己省察しやすいことがわかった。実際、記事になると記者や編集の視点でこんなにもズレたり偏ったりするものなんだな、と恐ろしくもなった。フランスでも大統領は既にこの件で4回演説しているし、首相や大臣など誰かしら公式会見をかなり頻繁にやっているので、なるべく見るようにしている。実はニュースで要点だけを見るよりも、言葉が誰でもわかるように整理されて、ゆっくりはっきりと発話されるので、案外理解しやすいと感じている。

日本に関して言えば、多くの高齢者が朝昼夕に、芸能人やコメンテーターと呼ばれる人たちがニュースまがいの情報を好き勝手に発話する情報番組を、毎日シャワーのように浴び続けている。ネットニュース同様、これも中毒性がある。気付かぬままに批判的になったり、怒りを溜めたり増幅させたり、人を中傷することに慣れてしまう。モンスター化の一因なんじゃないだろうか。これってまるで砂糖中毒のようなものだ。糖分はもちろん必要な栄養素だし、美味しいものだが、工業的に精製され「本来の質」を失ったそれは、徐々に体を蝕み、中毒性を帯びて、過剰摂取へと人を陥れて行く。脳の栄養になるものだから、脳は自分を喜ばせるために、体の健康を無視して、「このくらい大丈夫だよ、栄養だよ」と自己弁護しながら「もっともっと」と誘惑され、罪悪感のないままにはまってしまう。脳というのは本当に自分本位で、つくづく信用ならないと思う。そして砂糖の場合、体が蝕まれるのだが、これが情報の場合は心が蝕まれるのだろう。

5月11日の解除日まで、まだあと2週間ほど。コロナ対策と同時に、自分は既に情報依存症だと思って、情報の取り入れ方に気をつけつつ、傷んでしまった心のために、芸術で癒すことを心がけたいと思う。オペラ座を始めとする各種劇場のサイトでは、オペラ、バレエ、コンサートなどの動画限定公開など、自宅待機の心を和ませる取り組みや、各アーティストがコラボしたり、自宅での演奏会を公開したり、といった活動が盛んなので、幸い素材には不足しない。こうした人の心を美しい方向へ向ける情報こそ、救いとなるのだから。

日本も非常事態宣言目前!?自宅待機の楽しみ方

意外とブログを読んでくださる方々がいてくれて、有難い励ましのご連絡などいただきました。友人達に感謝。この状況で私に何か出来る事があるといいのだけれど、特殊技能も何もない身で、家にいる事が唯一の貢献と思い日々頑張っている。仕事を持たない身なので、自宅待機前と後ではそう生活は変わらない。それなのに、人との直接触を断たれると、何というか地球で生きてるリアリティに欠けるというか、なんか自暴自棄になったりしないだろうか?と自己コントロールへの漠然としたプレッシャー?不安?を感じたりもする。

で「せっかくだから何かやろう」という気になって、今まで時間が取れずに後回しにしてきたことにチャレンジして見た。(本当は大掃除とかがいいんだけど、それは今まで通り「気づいた時にささっと」方針で)

以下、取り組み順に。

・麹箱の作成。昨年秋から麹菌を入手して、コツコツ麹を培養している。甘酒にすると美味しいので、2ヶ月に1度くらいのペースで作っているのだが、温度管理が難しく、頻繁に世話をしなければならないのが面倒だった。そこで発酵専用の麹箱をDIY自作。ペット用の電気保温シートと温度計も仕込んで、これですっかり楽になった!(写真も面倒なので割愛。ナチュラル系のいい感じ◎)

・庭のスミレが満開だったので、摘んで乾かしてハーブティーにして見た。単独では地味な味だが、日本茶や紅茶にプラスすると何とも上品な香りとお味に!若葉もお浸しで食べられるというネット情報を見てやって見たが、これはまぁ食べられるけど是非食べたい、ってものではなかった。

・干し芋を自作する。日本から持って来ていた干し芋が尽きた。サツマイモがスーパーで売っていたので、品種はよくわからないけど、炊飯器で蒸して切って干して見た。安納芋的な甘いオレンジ色の干し芋が3日で完成!手作りって美味しい!家にずっといるから天候の変化にも対応できるし、ヘルシーだし、これはオススメ。

・で調子に乗って、他の果物も干して見た。りんご、キウイ、バナナ、レモン。どれもすこぶる美味しい。甲乙つけがたい旨さで毎日バリバリ食べちゃう。レモンは紅茶に。ついでに甘夏の皮も刻んで干して、これも紅茶やハーブティーに投入。なんかもっと干したくなって、セロリの葉っぱ、パセリ、マッシュルーム、人参なども干しまくり。大体1−2日で乾くから次々に試してみる。味噌汁とかパスタとかにパパッと加えて栄養価もアップするから超便利。

・スモークサーモンもやって見た。塩をして1日冷蔵庫で寝かせて、スモークチップの代わりに日本茶の出し殻を使ってフライパンで熱燻。非常に簡単で美味しくて、もっと早くやればよかった。養殖のサーモンなら寄生虫の心配もかなり低いそうなので、次回はもう少し加熱時間を減らしてもっと生っぽくしてみようかな。

・でまた調子に乗ってスーパーで鯖を購入。シメ鯖を作る。腹わたは落としてあったので、3枚におろして下塩1時間、一度洗ってから普通の米酢で30分ほど、昆布とか何にも入れずにシンプルにやって見た。これもおいし〜!思わず日本酒を開封してしまった。で残った頭と中骨とプランター栽培のミニ大根で船場汁を作る。綺麗に澄んだお出汁で五臓六腑に染み渡る〜!

他にも日々色々と作って見たかったレシピに挑戦中。ハズレだったのは、某レシピサイトで見つけた「マシュマロで作るチョコレートムース」。確かに簡単だったけど、これ、うまいか?マシュマロが安物だからいけなかったのか?ジャンクな味にがっかり。炊飯器ケーキも微妙…。

とにかくまだまだ自宅待機は続くので、どんどんチャレンジしていくつもり。皆さんもなんか良いアイデアあったらお知らせください!

フランスで過ごすコロナ禍の近況

年末年始を日本で過ごし、帰仏後もあちこち旅行していて、ようやく家に落ち着いたのが3月1日。そろそろフランスでも自国のCOVID-19感染を心配をする声が聞こえ始めていたが、実際に生活上で警戒している様子はほとんどなかった。私自身は、2月の旅行先で後から後から感染者が出たので、これは危ないかも、と心配になり毎日検温したりして、何の症状も無いのだけれど、それでも不安は拭えないでいた。友人は平均年齢70歳くらいだから、自分というより周囲が心配だった。でも皆どこ吹く風。この余裕、どこからくるんだろう。習い事も参加者は減っていたけどまだ続いていたし、3月12日時点でのピラティス教室に至っては満員。「窓を開けた方が…」と進言してみたが、「気になる人いる〜?」誰もいなくて寒いから閉めたままで、ってことになったりして。「弱気になるな」的な空気の方が強かった。

そこからわずか数日で急に政府やメディアが警鐘を鳴らしたて、学校の休止、追って外出自粛の沙汰が立て続けに施行された。そのスピードの早さに「すごいな〜」と思っていたところに、自粛に対抗するように「友達の家でワッフル焼くから集まろう!」という気楽なお誘い。さすがに挨拶のビズ(キス)と握手は誰もやらなくなっていたけど、食卓でワッフル焼きながら、スプーン共有でジャムとか蜂蜜とかつけて食べて、誰かが感染してたら絶対アウトだな、という状況だった。「目に見えないリスクよりも、友情と交流を失いたく無い」「テレビや政府は大げさで、広がりつつはあるがまだ自分たちは大丈夫だ」と声の大きい人が言う。内心は不安、と言う友人もいた。この時点(3月15日)あたりが今(3月下旬)の東京なのではないかと思う。

そして翌日に外出自粛が実質上の外出禁止になって、生活必需品の買出し、通院・薬局、1時間・半径1km以内の運動(散歩)に、外出日時を記載した証明書を持参することが義務付けられた。私の場合、スーパーの買い物は、ネットで注文しておいて、車でピックアップに行く。トランクを開けると、お店の人が全部入れてくれて、車を降りずに済ませることもできて便利。人との接触も売り場で人が触ったものを買う心配もないので、これなら安心。ニュースを見る限りでは、通常スーパー前に1mの間隔を空けた列が出来ていて、店内も人数制限と保護カバー等で物々しい警戒をしているらしい。店外でも結構細かく取り締まっているようで、スーパーでコーラとお菓子を買って帰るおばさんが、警察から注意を受けたりしている。生活必需品じゃ無いってことなのかな。まだまだ離れた公園や河辺でジョギングしたり、違反外出が後を絶たず、対抗策として罰金も日に日に高額に設定変更されていった。

突発的な緊急事態なのに、次から次へと対応策を打ち出してくるフランス政府の機動力はなかなか凄い。民間の対応も細かなアイデアで色々と防御を徹底しているな、と感心しつつも、感染者と死者数の増加が止まらない。そうした中、医療関係者を気遣うメッセージ投稿や自宅内から外に向かって称賛の声が飛び交う辺りも、フランス人らしい。とにかく声を掛け合うのだ。

現時点で、さらに2週間の外出禁止と休校措置の延長が決まっており、大方の予想で解除は5月下旬以降になるのではないか、となっている。目下の注目は「クロロキン」。マルセイユ大学の教授が治療の有効性を発表しており、とにかく危険性がなく回復可能性があるなら、他に方法も無い訳だし、藁にもすがろうと言う流れである。議論を巻き起こしながらも早々に認可されたようなので、目下治療中の多くの人が救われることを期待したい。

一方で待機しているだけの人には、とにかく時間だけはある。室内での運動やこの機に庭仕事や家の修理など、日頃手をつけられなかったことをやろう、と言う前向きな過ごし方の紹介も多くされている。私はと言うと、フランス語の先生(ボランティア)が授業をSkypで続けてくれてることになった。自宅で一人で独学してても、どうにも進歩しないからこれは有難い。運動不足も心配で、2月の平均歩数8000/日が3月2500歩に激減。1時間外出できるけど、ついつい億劫になるし、飲食を控えめにしようと思っても、家にいるとついついねぇ。

ところで気になる日欧の感染拡大の差について、メディアでも取り沙汰されているとおり、やはり生活習慣における衛生観念の違いが一番大きいだろう。そして、私はもう一つの基礎的な要因として「言語」があるのではないかと思う。フランス語の発音練習で苦労するのは「息を外に強く吐く」発音が多いこと。F、V、P、Bの子音に加え、主力の母音達も、日本語と比べてとにかく「発する」力が強い。感情を込めて話すので口の動きも大きいし、破裂音で唾を飛ばして、長々としかも至近距離で喋る。これって人人感染では弱点なんじゃないかな。日本人は言語の特性と大人しい話し方で口からの飛沫が少なくて、距離もある程度はとるし、その上、手洗い・消毒が行き届いている。鬼に金棒ってほどじゃ無いけど、疫病対策としては意味がありそう。

最後に、私の生活や周囲はまだまだ穏やかで冷静だけど、フランス各地では毎日悲報が溢れている。恐れではなく、現実だ。日本と違って、テレビのニュース等で生々しい病院内の治療の様子などが目の当たりにされている。患者や家族、治療にあたる医師や看護師たちのインタビューなども積極的に流れていて、持病の無い昨日まで全く健康だったという人達が、隔離され家族に看取られることなく亡くなっていく。恐ろしく、悲しい。日本もこれが明日の現実と思ってどうか気構えを緩めぬように、このまま抑制に成功することを願っています。

 

ペットロスの辛い日々

昨年9月から始めたフランス暮らし、日本から一緒に来てくれた愛犬マリーが、他界してしまった。とにかく辛くて、ブログを書く気力は一切無くなった。

あれから3ヶ月、まだ詳細を振り返る気力は無いけど、いつまでも先に進めない感じがするので、状況だけでも報告しておこうと思う。

15歳8ヶ月、避妊手術をしていなかったので、私が気をつけなければいけなかったのだが、子宮の炎症で膿が溜まってしまっていた。元気が無くなってきていたのに、歳だからな、と勝手に思い込んでいた。気付いた時には手遅れで、手術するしかなかったのだが、そのために入院して体力回復する必要があった。手術前日、いつもの時間にお見舞いに行ったら、既に息を引き取ったところだった。泣きじゃくる私に、獣医さん(この時は担当医ではなく院長が対応した)が状況を改めて説明し、高齢だったしかなり衰弱していたから、どのみち難しかっただろう、となだめられた。

そして家に連れて帰りたいと思ったものの、そのまま病院に預けて、火葬した位牌を受け取ることにした。3年前にシャルルを亡くしていた経験から、とにかくネガティブにならないように、悲しみよりも感謝の気持ちに集中しようと心がけた。それでも1週間はただただ泣き暮らした。日常の習い事だけは続けよう、と頑張ってみても、犬の話題や「ワンちゃん、元気?」などの気軽な声かけを受け流すことが出来ずに、その場で号泣し、周囲を困らせてしまった。

位牌が家に戻って来てから(2週間以上かかったけど)、ようやく気持ちも落ち着いて、分骨して持って来たシャルルと一緒に、これからはいつでもどこでも一緒にいてくれるのだ、と考えられるようになった。

いつかはこうなるもの、と分かっていた。でもそれは何の足しにも、慰めにもならない。悲しみは、分かっていても、辛い。自分に出来ることの限界を思い知る。感情のコントロールすら出来ないのだ。

それでも、そんな感情や、様々な経験は、シャルルとマリーがいてくれたからこそ得られたもの。慰めてくれた家族や友人の温かい気持ちも、変わらず過ぎ行く日常も、私をしっかり支えてくれる大切なものなのだ。全てに感謝。

最近の生活と習い事あれこれ

あぁ、時の経つのの何と早いことか。9月下旬に引っ越してから早8ヶ月。相変わらずフランス語はまともに喋れないけれど、何とか暮らしは溶け込んで来た気がする。最近の生活はこんな感じ。

月曜日:ピラティス教室、フランス語

火曜日:卓球サークル

水曜日:友達とフランス語と日本語の相互勉強

木曜日:ピラティス教室とフランス語

金曜日:水彩画、天気のいい日はペタンク

空いている時間は、家事と庭仕事。土日は、友達の家でゲームをしたり、映画に行ったり、行事に参加して見たり、とこれまた有難いことに色々と遊んでいる。フランス人たちは、特別なイベントか、出かけたついでに外食することはあっても、「飲みに行く」ということが無いので、お金はほとんどかからない。本当に皆んな質素な生活をしているのね。先日は日本人の友達の家に呼んでもらって、久々に昼から夜までワイン漬け、という飲み会を堪能したけど、こういうことしてるのは、おそらく日本人だけ。フランス人の友達の家に集まると、大人5−6人でカードゲームやボードゲームでガチで遊んで、その後、軽くアペリティフを飲んで食事。お酒はほどほどで、食後酒を飲んだとしても、デザートが主役な感じで、お酒はあくまで食のお供なのね。夜更かしはするが、健康的なのだ。

春以降に友達(70歳)の誘いもあって、ついつい習い事を増やしてしまった。が、これが超楽しい。卓球、水彩画、ペタンクも、全くの初心者なのだが、皆んな親切によく教えてくれる。ついでにフランス語の勉強にもなる(はず)。

卓球は定年組みの60ー80代の面々が集まり、週2回活動している。私は木曜日のフランス語と重なってしまっているので、週1回参加。昔、中学生の時に卓球部の姉に教えてもらったようにやったら、「アジアのグリップだ!そんなグリップでやってる人は今はいないよ。」とすぐに直された。飲み込みは早いので、それなりにラリーは出来るようになったが、ダブルスの試合は動き方が全然わからない。いい歳の大人たちが、本気のアタックや回転をかけてを打ってくるので、手も足も出ずに四苦八苦。それでも毎回、少しずつ進歩していると思う。

水彩画の方は、女性ばかりで、とても静か。一人だけベテランの男性が先生役で、色々とアドバイスや実演で説明してくれるので、初心者でも安心。和やかな雰囲気の中で集中するから、3時間があっという間に過ぎてしまう。そしてお互いの作品を皆んなですごく褒め合うのだ。テクニック、情感、色合い、構図、とにかくどこか良い所を見つけて、徹底的に大げさに褒める。そうしてモチベーションを高めたり、幸福感を高めるのね。良いことです。

初夏から秋には、卓球の仲間が屋外でペタンクをするのだが、これが水彩画と重なっている。水彩画はまぁ家で一人でも出来るけど、ペタンクはそうはいかないので、天気のいい日はペタンクに参加することに。使い古しの軽めのボールをお下がりで頂き、グラウンドへ行くための自転車も購入!ルールはネットで事前に調べて勉強し、初めてにしては先ず先ずのレベルで出来たと思う。ゴルフよりも簡単に出来るし、ゲームは面白いので、沢山いろんな技を身に付けて上手くなりたいな。

48歳にして、完全に隠居生活に没頭している。もっと静かに暮らすのかな、と思っていたけど、じっとしていられない性分なのね。まぁ体と頭を動かしてないと、本当にボケてしまいそうなので、これでちょうど良いのだろう。以上、近況報告でした!

プチ旅行(3日目・最終日)グルノーブル

 

マリーと空中散歩。

2泊3日のドライブ旅行もいよいよ最終。グルノールには一度きたことがあるけど、何にも観光しなかったので、今回は「シャボン玉」と呼ばれるロープウェイに乗ってバスティーユ城砦へ。

天気にも恵まれ、遠くアルプスの山々を眺めることができた。ここからモンブランも一応見える(小さいけど)。たったの15分でこんな異世界へ連れてきてもらえるなんて、ちょっとすごい。マリーも感激している様子。

空気がいいとビールもうまい!

風は強いが、売店でビールを購入し、絶景を眺めながらのんびり味わうことに。まだ午前中だから、こんなことしてるのは私だけね。

帰りもロープウェイに乗車し、楽々往復。徒歩でも行けるけど、時間も節約したいし、マリーを抱えて歩くのはしんどい。

サン・ローラン教会の考古学博物館へ

博物館の入り口。ん?閉まってる?

グルノーブルで見逃せないのが、古い教会をそのまま博物館にしたサン・ローラン教会。前日にネットで調べて、予習もしてあるし、お昼まではじっくり見学しよう、と張り切って来てみたら、扉がしまってる。おかしいな、昨日見た資料では今日は開館日のはずなのに…。扉をあけてみると、中にいた従業員のおばさんが「セキュリティの関係で今日は休館よ〜、明日また来てね。」だって。ものすごく残念そうに「明日は来れないんです。」と肩を落として引き返そうとしたら、おばさん、「ここからちょっと見えるから、いらっしゃい」と入場口まで進み、博物館の説明をし始めた。そして説明しながら、「うーん、ここからじゃ見えないわね。こっちへいらっしゃい。」とさらに見学コースの中へ。そして、「ちょっと入り口鍵かけてくるから、ここで待っててね。」と慌てて行った。再び戻ってくると、結局、見学コースを全部説明しながら見せてくれた。

地下聖堂が間近で見られる。

前夜に予習しておいて良かった。フランス語はほとんどわからないのに、マニアックな考古学単語は知ってたりするから、何となく理解できた。ビデオや説明図なんかも充実していて、助かる。修道士が石を運んだり大工仕事をしている様子を見て、そっか、修道院って、修道士が建設してたのね、と初めて知った。

全体が見渡せるスポットで、おばさんが「写真撮ってもいいわよ。フラッシュは焚かないでね。」というので撮影して見たが、暗くて全く映らない。おばさんに見せると、「やっぱりダメね。じゃあフラッシュ焚いて撮ってちょうだい。綺麗に見えるから。」え?いいの?じゃあ遠慮なく。それでも暗いけど、現場はこんな感じ。さらに別の角度から、「ここもフラッシュで撮影しちゃいなさいよ。」と仰るが、「さっき綺麗に撮れたからもういいです」と丁重にご遠慮しておいた。

何だかんだと貸切状態で30分以上は見学させてもらったかな。共同墓地やミイラが見所ではあるが、この古い建物自体がとっても魅力的。もっと勉強して、また改めて見学に来よう。おばさん、ありがとう!

車でお留守番していたマリーを連れて河辺を散歩してから、1時間ちょっとで無事帰宅。グルノーブル、案外近いんだなぁ。

以上で2泊3日、走行距離約500kmの旅が終了した。そして1週間後、スピード違反の通知と請求書が届いた。80km/h道路を86km/hで走行の6kmオーバーだって…。厳しいとは聞いていたけど、気をつけてたのに〜。すぐに払うと早割的な低価格になるので、速攻支払いました。これで完了!

プチ旅行(2日目)憧れのナポレオン街道

さて2日目、朝食も早々に済ませ、8時半にグリニャン を出発。せっかくここまで来たので、遠回りしてナポレオン街道を走って見る。

プロバンスからアルプスへ

幽閉されていた地中海のエルバ島を脱出し、カンヌ近くに上陸したナポレオン一行は、徒歩でグルノーブルを経由してパリを目指す。秀吉の中国大返し並みの、超速強行軍。っていうのをフランスのテレビで見て、終始絶景の有名なドライブコースを私も走って見たいな〜と思ってたのだ。グリニャン から2時間で、ナポレオン街道の途中Sisteronへ。

山に囲まれて、いかにも孤高の城塞

そしていきなり横道に外れて、さらに1時間半ほど離れた場所、Mont-Dauphinへ。地図を見ていて、ここにヴォーバンの城塞があることに気がつき、無理やり旅程に組み込んで見た。ヴォーバン の城塞はフランス全土に150ほど、そのうち12箇所は世界遺産となっていて、フランスにいるうちにいくつ訪れることが出来るかな?と楽しみにしていた記念すべき第1城塞となった。まだ雪の残る城塞はとても風情がある。こんな小さい城門を車で通れるのか?と恐る恐る進んでみると、中にはこじんまりした普通の村があった。しばし散策。天気もいいし、城壁の上からはパノラマの絶景が楽しめる。こんな遠いところ、来る人いないよな、という静けさ。

リンゴを齧りながら、ナポレオン街道のGapまで戻って、そこからは終点のグルノーブルまで一直線。途中にいくつか見所はあるのだが、とにかく蛇行しまくる山道を必死に直走る。地形がすごい。途中は火山の溶岩跡や、山が隆起した時の地層が美しい。

そして終点グルノーブルへ。ナポレオンが実際に滞在したという建物が現在レストランになっているので、締めくくりにここでディナーをとることに。

鷲の紋章がかっこいい

月曜だからかな?お客は私ともう一組しかいなくて淋しい感じ。おかげで店員の接客はとても良くて、ナポレオン所縁の装飾などを説明してくれた。料理は前菜はとても美味しかったが、あとはちょっとね。。。シェフも今日はお休みみたいだし、まぁこんなもんか。食後にカップルの男性が話しかけて来て、「(連れの)彼女の弟は東京のトゥール・ダルジャンのシェフなんだよ〜」と自慢して来た。グルノーブル出身だそうで。日本に帰ったら行ってみるかな?

こうして2日目も無事終了。最終日はグルノーブルを観光して早々に帰宅予定。マリーはホテルで大人しく?寝てくれている。いつものお気に入りのケットを持って来てよかった!

 

2泊3日プチ旅行 (1日目)グリニャン城とシェフJulien Allano

2月に入り、バカンスシーズンに。フランスのバカンス(学校のね)は、全国を3つのゾーンに分けて、少しずつ時期をずらして分散している。私の住む地域はzone Aなので、2月16日から3月3日までの2週間がお休み。子供がお休みだから、この時期に休暇を取る大人も多く、大概はスキーに行くようだ。その影響でお店や施設がなんかもやってなかったりする。で、私の習い事も全てお休み。そんなわけで、私もこの機に小旅行に出かけて見ることにした。

冬の楽しみ、トリュフマルシェ

またかよ、と思われるかもしれませんが、この地域はトリュフの産地で、冬の間は毎週あちこちでマルシェが開かれる。主には業者用なのだが、サン=ポール=トロワ=シャトーという町では、一般向けマルシェを日曜午前中に開催している。予定はここに合わせて、日曜の朝に家を出て車で1時間。小さな町の小さな広場に沢山の人が来ています(って言っても50人くらいかな?)

ランクで値段が異なるが、こちらのムッシュ「見た目の色が違うくらいで、食べたら変わらないよ〜」とおっしゃるので、安い小粒を一つ購入。紙袋に入れてくれたのだが、「今度来る時は、香りを逃さないように、プラスチックの箱か密封袋を持参しておいで。」とアドバイスをくれた。ワインとラビオリセット7€を横目に見ながら、車だしな…、マリーも落ち着かない様子だし、今夜の宿ではトリュフ三昧の予定だから、ここは我慢してスルー。しかし周りは皆ガンガン飲んでて、中にはPolice達までいたよ。お昼休みかな?

近場の観光地グリニャン へ

午後は途中の修道院でハーブ製品などを調達しつつ、Grignanへ移動。

西陽の当るグリニャン 城

愛娘への書簡で有名な、セビニエ夫人というフランス人なら誰でも知っている(らしい)貴族の女性が住んでいたお城。清少納言みたいな人なのかな?センスある文筆がパリ社交界で人気だったらしく、現在は学校の教材とかにもなってるそうな。フランス語の先生からのお勧めもあって来て見たけど、なるほど、調度品も美しく、テラスからは絶景が見渡せる。

本日のメインイベント Le Claire de la Plumeでトリュフディナー!

ドライブ旅行の辛いところは、途中でお酒が飲めないこと。しかも一人で犬連れだし。そんな私の解決策は、昼食は適当に済ませて、夕食のためにお目当てのレストラン近くまたはオーベルジュに宿泊すること。そして、ここグリニャン には1つ星レストランのある素敵なホテルがあるのだ。1月のヴァランス のトリュフイベントで、ここのシェフのセミナープログラムがあったのに参加できなかったから、追いかけてやって来た、という訳。

マルシェのようにあなたのお好きなトリュフをお選びください、だって!

「私はここへトリュフを食べるために来ました」と席に来てくれたシェフに伝えると、満面の笑み。料理は全ておまかせ。ワインも料理に合わせてグラスでお任せ。何もかも、本当に、素晴らしく美味しかった!料理の写真もOKだったけど、他のお客さんもいるからフラッシュ焚くわけにもいかないので、全然キレイに撮れない。この感動の美味しさを伝えられないので割愛。トリュフ目当てだったけど、意外にもフォアグラのポアレが驚く軽さで絶品だった。森のきのこのスープもよかったなぁ。メインの鳩も、胸腺だろうか?本当に柔らかくて、いろんなエキスを煮詰めたソースが上品なのに濃厚で、深い〜。最後に、使い切らなかったトリュフの残りは真空パックにしてくれてお持ち帰り。

初日からとにかく充実、堪能しました!またラベンダーの季節に食べに来よーっと。そして明日は、ナポレオン街道をドライブだ!!

地元Valenceを観光してみた

私は村に住んでいるので、時々しか街には出かけない。今日は、Valenceの眼鏡屋さんに保険請求の書類を取りに行くため、車で約15分、ローヌ河の橋を渡り、バランスの街へやってきた。とにかく駐車に苦労するので、今日は早々に中心地近くの地下大駐車場(ちょっと高い)に入れてしまう。用事はすぐに済むのだが、せっかくだから初めてちゃんと観光してみようと思う。

逸話は無いが、歴史ある街

眼鏡屋さんのある繁華街から、大通りを挟んで反対側には旧市街が広がっている。リヨンとプロヴァンスの中間でローヌ河沿いのヴァランス は、交通の要所でもあった。少し南のソワイヨン(家から近い)ではネアンデルタール人が住んでいた洞窟もあったりして、先史時代からローマ、中世、近代史、と長期に俯瞰することができる。ただし、観光の目玉となるような、超有名人物とか驚異的な出来事とか、歴史に語り継がれるような逸話が無いようで、まぁ、ずっと平和だったんだろうな。

ヴァランス 美術/博物館は充実!

こっちに来てから、特にケルト文化とかガロ=ローマとかに興味が湧いて、少し勉強し始めているところ。美術館の絵画作品辺りはさらっとスルーして、お目当の考古学展示をがっつり見学。残念ながらフランス語の説明を丹念に読む能力が無いので、無知のまま目で楽しむことに。1時間半くらいで集中力を使い果たしてしまった。また来よう。おかげでフランス語と歴史の勉強のモチベーションが高まった。

ビストロでランチ!

ヴァランス でカジュアルな美味しいビストロは知らない、と弟夫婦は嘆いていたが、なんだ、ちゃんとあるじゃないか。ミシュラン1つ星のミッシェル・シャブランのブラッスリーが、旧市街のど真ん中にあったので、入って見ることに。先日、地元のフリーペーパーで紹介されていたのを読んで、良さそうだな、と目をつけていたところ。平日で12時ちょうどはガラガラだったけど、30分もしたらほぼ満席。マダムがメニューを丁寧に説明してくれて、Plat du Jour(本日の定食)が入ったコースメニューを注文。グラスのワインを飲みながら、ワイワイガヤガヤとした雰囲気でひとり食事を楽しんだ。デザートは、お店のスペシャリテでは無かった。グランマニエをたっぷり使ったクレープシュゼット、食べたかったなぁ。ここもまた来よう。カスレもあるし。

半日ちょっとの観光で、十分楽しめました!一応、美食の街を謳っているので、星付きレストランばかりでなく、こういうカジュアルなレストランも無いとね。暮らすのに不自由無いけど、イマイチ盛り立たない街だなぁ、と勝手に思っていたのですが、単に私の勉強不足。もう一度しっかり勉強して出直します!

フランス語勉強、その後、友達できた!

フランス語が話せないので、せっかく話しかけてくれてもうまくコミュニケーションが取れない。一生懸命に伝わるように粘ってくれる人に「フランス語がうまく話せないので・・・」と言うと、残念そうに、また今度ね、と去ってしまう。日本人や日本に興味を持っている人はとても多い。信号待ちでも話しかけてくれる人がいる。銀行や修理工や店員さん、会話を必要とする職業人たちも、英語混じりで何とかしようと頑張ってくれる。

そんな好意を無にする「私、話せませんから」という態度は一切やめて、「わからないんだけど、こういうことですか?」と辞書を示したり、Google翻訳使ったり、先ずは意思疎通を優先しよう、と割り切り始めた今日この頃。

来仏後、最初に始めたピラティス教室でも、着替えで隣り合わせたご婦人が、話しかけてくれた。パリ在住時は、日本企業で働いていたそう。友人が日本語を勉強しているので、今度紹介する、と発展し、実際に紹介してもらった。その彼女パトリシアとは、週1回お互いに日本語とフランス語を教え合う、ということで定期的に勉強会を行うことになった。紹介してくれたエブリンは、お家に招いてくれたり、本を貸してくれたり、近所のメディアテックに連れて行ってくれたり、普通に友達としておつきあいする仲に。有難い。彼女もリタイア組で、日々習い事や趣味で忙しそう。「あなたは碁はやる?」と聞かれ、うーんちゃんとやったことないけど、少しはできると思う、と答えたら、「私は碁を習い始めたの。教えてあげるから今度一緒にやりましょう!」とのお誘い。フランス人に碁を教わるようになるとはね。

街のボランティアのフランス語教室は、先生の都合やバカンスで休講が案外多い。これじゃぁ上達しないな、と思い、有料の先生を探してみる。Super Prof というネット上で近くの先生を検索して条件を交渉し、成立すればレッスンを有料で受けられるもの。格安の学生さんに申込んでみたら、もういっぱいらしく断られた。次にベテランそうな値段設定も高めの女性に申込んだところ、自宅レッスンしてくれるという。私はバーチャルレッスンが苦手だから、それは嬉しい。週2時間で50€、高いけど、元教師で文学専門というから、時々お願いするつもりで開始した。推定65歳くらい、ブルターニュ出身で、家族と地元をこよなく愛し、超おしゃべり。2時間はあっという間に終わる。3ヶ月ほど続けてみて、やはりコストがかかるのと、予定が立て込んで来ていることもあって、しばらくお休みすることに。最後に「この夏は、私はブルターニュを旅行することにしました」と話したら、大喜びで「だったら私の実家にいらっしゃい。海辺の家もあるわ!あー今から楽しみ、すぐに準備に取りかからなきゃ!」と大はしゃぎ。マリーも連れて行ってOKということなので、お世話になってみようかな。

というわけで、フランス語自体は大して進歩していない感じなのだが、話をする機会は着実に増えていて、早くもっと話せるようになりたい!と切実にモチベーションは高まっています。頑張らねば!