フランスで自宅待機が始まって既に6週間が経過。一人暮らしだし、働いてもいないので、特に辛い変化があるわけでは無い。やる事もやりたい事も沢山あるので退屈をもてあますこともなく、ただ全ての時間を1ヶ月以上に渡って孤独に自己管理する、というのはなかなか精神力を必要とする。1日の主なリズムは3食と就寝で、間の時間は家事や勉強や趣味、つい夜更かしもするし、間食も増える、散歩も億劫になり、家で適当な運動でごまかす。
外部との接触がほぼ絶たれたため、今まで以上に頻繁にTVとネットニュースに触れるようにもなった。最初は雪玉が転げ落ちるように膨らんでいくコロナ影響の数字に怯え、目が離せなかった。そうこうする間に日本でも市中感染が始まったので、日本のニュースも追いかけるように。元々某大手ネットニュースを数日に1度チェックする程度だったのが、今や朝昼晩と1日3回は見てしまう。国内ニュース、国際ニュース、経済、芸能、科学、幅広く次々と情報が更新されるので、終えようと思ってもつい新たな記事を開いてしまうのだ。
ネットニュースは速報性があるし、世論の方向や他人のコメントで別の視点を知ることもできる。出典媒体を見ながらなるべく良質記事に絞って見るようにし、中傷や罵倒、批判ばかりの偏った記事やコメントは避けたいと思うのだが、見出しの興味喚起に引っ張られて、これもついつい見てしまう。ところが、こうした人の悪意や鬱憤のはけ口となった情報に触れてしまうと、知らず知らずに自分の心が痛めつけられてしまう。まさに心が腐るのだ。
東京の姉が時々、新聞のコラム記事を画像で送ってくれる。しっかりとした専門知識や深い洞察力のある作家やコラムニスト、記者による、冷静で、読みやすく構成された知的な文章を読み、心の底から思った。「情報は、内容と文章力の両面で、質が重要だ。良い文章は心を豊かにするし、それが辛い内容であってもその情報を糧として真剣に受け止めることができる。」と。
動画で記者会見中継なども見るようにしている。ネットで細切れな数多の評論記事を読むよりも、出典元を間を介さずに見る方が正しく把握できて、自己省察しやすいことがわかった。実際、記事になると記者や編集の視点でこんなにもズレたり偏ったりするものなんだな、と恐ろしくもなった。フランスでも大統領は既にこの件で4回演説しているし、首相や大臣など誰かしら公式会見をかなり頻繁にやっているので、なるべく見るようにしている。実はニュースで要点だけを見るよりも、言葉が誰でもわかるように整理されて、ゆっくりはっきりと発話されるので、案外理解しやすいと感じている。
日本に関して言えば、多くの高齢者が朝昼夕に、芸能人やコメンテーターと呼ばれる人たちがニュースまがいの情報を好き勝手に発話する情報番組を、毎日シャワーのように浴び続けている。ネットニュース同様、これも中毒性がある。気付かぬままに批判的になったり、怒りを溜めたり増幅させたり、人を中傷することに慣れてしまう。モンスター化の一因なんじゃないだろうか。これってまるで砂糖中毒のようなものだ。糖分はもちろん必要な栄養素だし、美味しいものだが、工業的に精製され「本来の質」を失ったそれは、徐々に体を蝕み、中毒性を帯びて、過剰摂取へと人を陥れて行く。脳の栄養になるものだから、脳は自分を喜ばせるために、体の健康を無視して、「このくらい大丈夫だよ、栄養だよ」と自己弁護しながら「もっともっと」と誘惑され、罪悪感のないままにはまってしまう。脳というのは本当に自分本位で、つくづく信用ならないと思う。そして砂糖の場合、体が蝕まれるのだが、これが情報の場合は心が蝕まれるのだろう。
5月11日の解除日まで、まだあと2週間ほど。コロナ対策と同時に、自分は既に情報依存症だと思って、情報の取り入れ方に気をつけつつ、傷んでしまった心のために、芸術で癒すことを心がけたいと思う。オペラ座を始めとする各種劇場のサイトでは、オペラ、バレエ、コンサートなどの動画限定公開など、自宅待機の心を和ませる取り組みや、各アーティストがコラボしたり、自宅での演奏会を公開したり、といった活動が盛んなので、幸い素材には不足しない。こうした人の心を美しい方向へ向ける情報こそ、救いとなるのだから。